なおの心象風景

詩のような散文のようななにかを書きつけています

私が私であるだけで

私が私であるだけでとてつもなく悲しい
私が私であるだけでとてつもなく嬉しい


人間とはひとりびとりが

大海原に投げ出された孤独な戦士


私はすべての憂鬱を吸い込みました
憂鬱はまた吐き出すこともできるのだから


空がまるで水彩画のような
きれいな水色、紫、橙色をしていたので
なぜこのような色に?
私は思いました
だれが何のために塗ったのだろう
(誰も見たことのない 私の目にだけ映る光なのです)
今日だけの 特別な といえばきっとそうだ
しかしそれはおそらくこの世界にたくさんある
美しい空を前にして我々は言葉を失うだけ


言葉が邪魔をするだけなので
もう何もしゃべるな
大自然を前にしては

沈黙しましょうということにしました

回復

何かの因果でこの身体を与えられ、ここへ生れ落ちる
いったいどういった理由で?
我々は問いかける
我々は記憶をすべて忘れて生まれてくる
精神を司るなにか大きな意志、自然、
あるいは宗教はそれを創造主、神様と言ったりする


ひとは生まれて生きてそして死ぬ
誰もが同じであるはずなのに、どうしてこんなに違うように見えるんだろう
どうして私はいつもこう
いつもここに帰ってくる
人はそれを現実と言ったり、悪夢と言ったりする


精神の住処である身体
どうあがいたって
どんな本を読んだって
帰ってくるのはいつもここ
この精神しかないのだった


しかしもう私は悲観しない
この精神を
あらゆることを悲観するやっかいな精神が宿ってはいるけれども
そのこと自体は悲観しない
精神があることはありがたいことです


このように言葉を使って考えられるのは良いことです
たとえ言葉が人間に意味を与え価値を与え傲慢になってしまったとしても
また言葉で回復できる
どんなに言葉が失われようと
今こうして使っている日本語がまだ残っている
ここからまた自分の傷をも先祖の傷をも回復できる


あなたは何を失ってきたんですか
何を捨て去り、故郷を出できたんですか
私は知りたい
なぜなら私は一人では存在できなかったからです
あなたがいて私がいるからです
私が探し求めているものがあなたの中にあるかもしれないからです


どうして
なぜわたしたちこんなにばらばら


でもまたきっと言葉で取り戻せる
ばらばらになってしまった言葉やその背後に隠れた影を拾い集めて
紡ぎ合わせて
我々はある空気の運動によって
思い出す方法を忘れてしまったので
上手く生きるやり方がちょっとわからないだけ


上手くしようとしなくていい
変えられないことはただそれを愛するだけ
何回も何回も愛しなおすだけ
そうやって私とあなたとを回復していく

魚の雲

ふと斜め上を見上げれば

魚のような雲が泳いでいて

私を見て笑っている


ぼくはこのように泳いでいる

気持ちいいのさ

おまえは何をうじうじしてるんや

ってついに私の偏屈な精神は

雲にしゃべりかけられたようです


ここから魚の雲をこの角度で眺められる視点は

今ここに一つしかないのだった


それぞれの角度から見え方があり

人の数だけ世界がある


この唯一のあり方しかできない

自分の喜びと悲しみ

みなだいたい自分の心を見ることに慣れていない


感情はいつもあちらからやってくる

それは津波のように襲ってくる


誰にも見ることのできない

その感情はあなただけが感じられる唯一の自然

だからそれをただ愛でたら良い